日本の推し活、「本人不在の誕生日会」にカルチャーショック
現代のアイドル文化は日本で一番発展していると思われます。戦後から80年代、テレビの普及とともに、JPOPやアイドル像の基礎が築かれました。
私と同じ「平成育ち」の香港人なら、日本のドラマや歌手に影響された方々が少なくありません。そこで、日本エンタメに関するエピソードのいくつかを語りたいと思います。
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本人不在の誕生日会
香港での学生時代、カフェでアルバイトをしたことがあります。ある日、貸切でグループが誕生日パーティに来ました。プロジェクターであの国民的5人組男性アイドルのライブ映像のDVDを見ながら、食事を楽しんでいるようです。その日の誕生日パーティは、そのアイドルのメンバーの一人の誕生日を祝うためのものでした。もちろん、アイドル本人はパーティのことを知らないです。
パーティの終盤で、誕生日ケーキを出す時に、天然な同僚が「主役がまた来ないの?」と本気で聞いてきました。
えっと、来るわけないですよね。。。
「本人不在の誕生日会」のことがわかっていたので、当時の僕はあまり驚かなかったです。
現在は「推し活」という言い方が広がっていますが、あの当時の香港では、そういうことやってる方が少なかったです。
けど、共通の趣味を持つ方、同じアイドルを好きな方と一緒に推しのことをやることのも、楽しさの1つです。日本なら、アイドルだけではなく、アニメキャラクターの生誕祭を祝う方もいますよね。
「推し活」は推し本人が知らなくても、楽しく続けられ、元気をもらいます。
香港の黄金時代、ヒット曲は日本のカバー曲が多い?
香港エンタメの黄金時代は80〜90年代といって過言ではありません。日本でも香港映画ファンがたくさんいるそうです。有名な一例として、映画「恋する惑星」(重慶森林)に出演した歌手フェイ・ウォン(王菲)は、日本でもドラマ出演、武道館ライブを行いました。
80年代の日本は、アイドル文化や個性的な曲が続出しました。香港のレコード会社はカバー権利をもらって、広東語(香港の現地語)の歌詞にして、当時、香港でもヒット曲になった日本のカバー曲も多かったので、日本の歌のカバー曲を代表作にした香港歌手も少なくはありません。
カバー曲は制作コスト(作曲費用など)を抑えられます。その時代は、ポップソングの作曲家を職業とする方が少なかったので、カバー曲の権利費用を払っても、作曲費用を払うより賢明です。また、「有名な日本歌手の曲」は楽曲の質が保証され、ヒットする可能性が上がります。
例えば、香港の大物歌手レオン・ライ(黎明)の代表曲の「我的親愛」、香港人なら一度は聴いたことがあります。原曲は槇原敬之の「もう恋なんてしない」です。昔はインターネットもない時代だったので、「この曲は元々日本の曲だったのか!」と知らないまま聴いていた香港の方が多そうです。昔の日本の曲がなければ、香港のエンタメの重要な部分が成立しないと思いますね。
今はYouTubeやサプスクを使って、馴染みがある曲の日本語原曲を聴くことが趣味の1つになっています。

