日米のお笑いに通じる国際交流
2025年は気づいたらあと1か月。12月といえばあれですよね。クリスマスでもなく、お正月でもなく、日本のお笑い界の頂点「M-1グランプリ」ですね。もはや国民的イベント、今年も楽しみにしております。
同僚や友達は私のことを「お笑い好き」と認識していますが、実は初めからではなく、インドネシアから日本に来て最初のころは、ほとんど漫才を見てませんでした。その昔から今のお笑いにはまるまでの話を、この記事にまとめたいと思います。
留学生と日本のお笑い
2009年に1年、そして2013年から3年、日本に留学した経験があります。そのとき、他の留学生たちと話すとき、鉄板ネタのようによく聞かれるのは「日本のテレビって面白くないよね。」「日本のお笑いってよくわからないよね。」
当時、私の日本語力もあまり高くなかったから、同じことを考えました。日本のアニメやゲームは好きですが、大体字幕版なので、日本のテレビで見る字幕のないバラエティー番組を見ても何が面白いかさっぱり。
もともと、母国インドネシアのお笑い・エンターテインメントもあまり好きではない。日本で言うと新喜劇のラフな感じ、べたで分かりやすい、年配の人をいじめたり、大げさに女々しい男性が大人気ですね。その結果、小さいころから英語圏、特にアメリカのメディアを消費して、おかげで英語力も高くなりました。
初めて日本に留学した時、他の留学生とアメリカのコメディアン(George Carlin、 Dave Chapelle等々)の話をしたぐらい、アメリカの「Stand-up Comedy」が好きでした。英語圏メディアの話題を使っていろいろな国の留学生と打ち解けて、それなりに楽しい学生生活を送りました。
咄嗟に笑えるようになったらネイティブ
一方、日本人学生とはあまり打ち解けていない気がしました。皆優しいですから距離を置きはしないが、同じことに笑えないことを残念に思いました。
当然一つ目の壁は①日本語能力 がありましたが、もう一つの壁は超えられるかどうか不明でした。その壁は、②日本で生まれ育ったことによる共通意識。
いわゆる「あるある」がわからない問題です。「押すなよ!」的な鉄板ギャグのほか、「学校あるある」は特に、日本の学校に通ったことがないから元ネタがわからず、ポカーンとなりがち。他の国のお笑いでも共通の部分があり、稀にユニバーサル的なネタはありますが、大半はその国で生まれ育ったらわかる「あるある」ですね。コメディアンに限らず、初対面の人を笑わせるには、共通点から入るほうが鉄板です。もはや国丸ごとのインサイド・ジョーク。
では、日本のお笑いを理解するには、どうすればいい?「生まれ変わったら日本人で」と願ってもね。実際に経験した方法を言うと「ひたすらテレビを見る」でした。少子高齢化社会とテレビ離れの影響で、日本のテレビ番組の多くは「ノスタルジック」狙いが多いですね。「歌謡曲特番」「あのころの名俳優は今」などなど、40~50年分の流行りを一気に見ることができます。
特訓するほどではないですが、この「ノスタルジック・テレビ」と日本語能力上昇のおかげで、やっと日本のお笑いをある程度理解できて、自然に笑えるようにもなりました。些細な事に見えるかもしれませんが、同じことに笑い、人を笑わせることができたらものすごくうれしい。「やっと日本語ネイティブに近づいた!」とガッツポーズ。
定番ネタ VS 時事ネタ
今でもアメリカのコメディ番組を楽しみながら、日本のお笑いも消費しています。エキスパートではないですが、せっかくなので、両方比べてみましょう。日本の漫才の原点は江戸時代の寄席からだそうです。前の落語家が後の落語家にバトンタッチするとき、演者二人で世間話してて笑いを取る。ですから漫才は必ず2人以上はわかりますね。
一方、アメリカのコメディアンはピン(一人)でも可能、むしろピンのほうが多いですよね。ストリップ劇場で、一つのショーが終わって、次のショーに着替えなどで時間が必要。なんとか時間稼ぎできる人、なおかつ道具やセット等なくてもできる人、これ専任の人が、コメディアンの原点らしいです。
有名になった戦前のコメディアンは実はコンビが多い、Abbott & Costello、Martin & Lewis等。コント師のAbbott & Costelloは伝説の野球の漫才コント「Who’s on First?」を今この時代で見ると、まさに6分のコント漫才ですね。普段ボケのCostelloがツッコミのAbbottに徐々に腹立つ姿を見ると、英語わからなくても面白おかしさが伝わります。
Who’s on First?
今のアメリカのコメディアンを見ると、コンビからピン中心、コントから時事ネタ中心になったのはいつからか、残念ながらはっきりわかりません。ベトナム戦争で政権の評価が下がり、人を傷つけないコントより、政権をネタにするトゲあるコメディアンが売れたのかもしれません。日本ではテレビの普及とほぼ同時期に漫才ブームがおきて、ツービート等が日本のエンタメ大黒柱になりました。実はこの世代の漫才師たちは戦後、ストリップ劇場で鍛えられて、アメリカン・コメディーと意外な共通点がありますね。
いずれにしても、今のアメリカン・コメディーと日本のお笑いはかなり離れている状態です。時事ネタ中心のアメリカに比べると、日本のお笑い芸人の中では時事ネタをやり続けるのは本当に数少ない。たぶん爆笑問題さんとナイツさんのみです。賞レース向きの4分定番ネタがよいのか、無限にできる時事ネタがよいのか、どちらもメリット・デメリットがありますね。漫才に関して、限られた時間とフォーマットの中に、初対面の人でも世界観・ストーリー・裏切りを通じて笑わせることは、個人的にすごいなと思います、自分ではできないことですね。
進化し続ける日米のお笑い
典型的なアメリカのコメディアンの出世ルートは、若いころいろいろなお笑い劇所でスタンド・アップを頑張って、Saturday Night Live(コント番組)やトークショーで知名度上げて、次のどれかに進みます:
A)映画出演 例:エディーマーフィー
B)自分のトークショーのMC
C)自分の名前がタイトルになるテレビドラマ
Cは定番すぎて例を上げるとキリがないですが、SNSの普及でアメリカではテレビ離れの加速が異常なため、実はここ数年ものすごく少なくなります。有名になったコメディアンがネトフリ等でライブ特番を出せるようになるのは多々ありますが、M-1グランプリの毎年エントリー増加とは正反対で、アメリカの若手コメディアンはあまりいない気がします。職業としてあまり憧れられなくなったかもしれません。
日本のお笑いも当然進化しています。昔は、社会人に向いてない方々が、中卒・高卒でお笑い事務所に入り、タテ社会と低賃金で苦労しながら、いつかビッグスリーのように有名になりたい、というジャパニーズ・ドリームがありました。今や「大学お笑い」という言葉があるぐらい、比較的生活に困らない、スマート・エリート層が大学のお笑いサークルや落研を通じてプロに入りするようにもなりました。象徴としては歴史に残るネタを持つミルクボーイと、M-1二連覇の令和ロマン。活動場所もテレビからSNS・Youtubeに移り、自分なりのやり方でお笑い芸人を目指す若者は少なくない、むしろ増えるかもしれません。不思議ですね。
いずれにせよ、世の中は辛いことが多く、大爆笑してリフレッシュできるほうが越したことはないと思います。ぜひM-1グランプリを見て、好きなコンビを見つけて応援しましょう。


