「木漏れ日」は英語にはない? 翻訳できない世界の言葉
現在、世界では約7000の言語が記録されています。言語から人々の文化、歴史、価値観などを垣間見ることができます。そんな中、「翻訳できない世界の言葉」というのを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
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「木漏れ日」は英語に翻訳できない言葉?
日本語の「木漏れ日」は、よく例としてあげられる言葉の一つです。
しかし、「木漏れ日」は難しい言葉ではなく、非常に分かりやすい意味を持っています。文化や故郷など関係なく、誰しもが見たことがあるものです。英語では「sunlight streaming through the trees =木の葉の間から注がれる日光」や、もう少し短い「dappled sunlight =まだらになった日差し」などに翻訳できます。このように、「木漏れ日」の翻訳は非常に簡単なものです。
では、なぜ「翻訳できない言葉」という認識があるのでしょうか?
「木漏れ日」は翻訳できないというより、他の言語では完璧に一致する言葉がないことからそう思われています。
先ほど書いたように英語に翻訳することはできますが、英語では「木漏れ日」の意味を一つの単語で表すことはできません。そのため、文章のリズムが少し変わります。要するに「木漏れ日」を翻訳する際、完璧に一致する便利な言い換えがないことから、翻訳できないと言われています。
しかし、仮に長くなったとしても、「木漏れ日」の意味やイメージは正確に伝わってますので、本当に翻訳に問題があると言えるでしょうか?
翻訳には一つの正解がない
翻訳の問題というより、翻訳の奥深さを表していると思います。先ほど「木漏れ日」の英訳を二つあげましたが、どちらでも通用します。
一番長い「sunlight streaming through the trees」は場合によって文章のリズムを乱す可能性がある一方、小説や詩ではまったく不自然なく文章に溶け込めることも多いでしょう。
一方「dappled sunlight」は直訳と若干異なる言い回しです。偶然にも「dappled sunlight」と「木漏れ日」を口にするときに、長さはほとんど同じです。
しかし、それぞれの単語は焦点が多少違います。「木漏れ日」は木の葉の間を通る日差しを喚起しますが、「dappled sunlight」は地面に映るまだら模様の日差しと影が混ざりあう様子を喚起します。英語の「dappled sunlight」は木への言及はないにも関わらず、木があるからこそそのようにまだらになっていることが暗黙に分かります。そのため、単語をそのまま翻訳しなくとも、同じ意味が伝わります。つまり、「翻訳できない言葉」は「直訳できない言葉」を示していることが分かります。
翻訳は直訳でないと正確ではないと思われがちですが、そのアプローチだとすぐ翻訳が不可能になります。直訳できたとしても、不自然すぎて元の文の質やフローは保たれません。オリジナルのトーンと意図を残しながらターゲットの言語にスムーズかつ自然に置き換えることが翻訳では一番重要です。それゆえに翻訳は非常に困難です。
言語の中に様々な「常識」が潜んでいる
言葉は人が作った世界の反映です。しかし、世界には一つだけの見方はありません。
例えば、色の名前はいい例になります。英語圏の人が日本語を勉強する際、「青」は青色(blue)と緑(green)どちらの色も含めていて、なぜそんな紛らわしいことになったのかと呆れる人も多いです。そのような人は自分の喋る言語の常識が当たり前だと思い込み、その常識が一番正確だと確信しています。
しかしながら、色も世の中のものも人によって分類されたものだからこそ、様々な仕分けがあります。その上、言葉はいつも一つの意味や概念を表しているわけではありません。私はよく緑っぽい青を「green」と呼び、家族に「いや、blueでしょう」と突っ込まれます。言語もその曖昧な「見方」に左右されるものです。
「翻訳できない言葉」に一番近いのは、日本語の「わびさび」のように、歴史と文化に深く基づいている言葉でしょう。こういった言葉は決して他の言語で理解できないわけではありませんが、対等な言葉はありません。
こういった場合に二つの翻訳方法があります。一つは言葉をそのままにし、説明を加えることです。この方法だと、借用語が生まれることが多いです。英語でも「wabi-sabi」は辞書にも載っていることがあります。
もう一つは冒頭で「木漏れ日」を翻訳したように、一つの単語ではなく、説明に近い長い翻訳にすることです(例えば「a sense of beauty in the impermanent =儚さの美意識」)。翻訳の目的に合わせて、どの方法を使うか考えるのが翻訳者の仕事です。例えば、論文や観光目的のものはそのまま「wabi-sabi」と書くのが良いですが、一方でリズムを重視する小説などの場合は、なるべく英語で表現することが多いです。
したがって、「翻訳できない」言葉はありません。
言葉は意味を伝えるもので、人は理解を求めるもの。困難であっても意味を分かち合うのは我々にとって得意分野です。翻訳不可能というより、各言語や文化の中で生まれた特有の言葉があります。それを自分の言語で理解しようとするのは世界を少しずつ知ることに繋がります。そしてそれをどのように表現するのかが翻訳の醍醐味なのです。