修禅寺の朝課体験にカナダ人が参加。○○に潜んでいる人間性
こんにちは、日本在住カナダ人のジェイリーンです。この秋、静岡県伊豆市にある修禅寺でのモニターツアーに参加しました。その一つのハイライトは朝課(朝のおつとめ)体験でした。業務の一環として朝のおつとめについて書いたことがあるのですが、実際に参加したのは今回が初めてでした。
朝のおつとめとは、禅宗で毎朝行う読経や勤行のことです。晩秋の寒い朝、お寺の鐘が鳴る5時に起きて、お茶を淹れたり暖かい服装に着替えたりしてから参加者の皆様と一緒に修禅寺へ向かいました。
移動中はガイドさんによる説明があり、修善寺(地名)と修禅寺(寺名)の違いや、お寺の歴史について色々学びました。境内の紅葉を鑑賞しながら大師の湯で身を清めて本堂に入ると、そこで待っていたのは僧侶の方々でした。
修禅寺の正門
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未知を知る
僧侶の方々による挨拶と体験説明が行われ、礼儀正しい姿勢をキープしながら座禅をするために僧堂へ移動しました。作法説明後、皆様と一緒に姿勢と呼吸を整えて座禅体験をはじめました。昔は北米風のヨーガをやったことがありますが、それはあくまで健康目的なもので本格的な瞑想ではありませんでした。
修禅寺は曹洞宗のお寺でほかの宗派と違って、壁に向かって座禅することが特徴の一つです。
しかし、後ろが見えないからこそ警策(ばち)に打たれることが怖くて、打たれないように姿勢を保つのに必死でなかなか雑念を払って心を静めることができませんでした。姿勢を保つのに必死すぎたせいか、姿勢が崩れて警策に打たれました。でも、思ったより怖くはありませんでした。打つ前にお坊さんが軽く右肩に警策をあてますので、心の準備ができるし、打たれること自体は思ったほど痛くはなかったので、その怖さを忘れて座禅を続けることができました。
修禅寺の僧堂
その後、思い出したのは静岡市の海でSUPを初めて体験した時のことです。その日の天気が優れなかったため、波が普段より荒くてライフベストを身に着けたのにカナヅチの私が海に落ちるのが怖くて、落ちないように必死で、Stand Up (立つ) Paddleboardingというスポーツなのになかなか膝立ちの姿勢から立つことができませんでした。
ある程度櫂を使いこなせるようになってきたら、移動しながら立つことに挑戦しました。でも、やっぱり海に落ちました。
その時、指導者が言ってくれたのは「おめでとう」でした。なぜおめでとう? という私の当惑に対して、指導者が「一度海に落ちったら怖くなくなるから」と答えました。
落ちる前の緊張感
体験後大きな笑顔
つまり、SUPや座禅体験を通して覚えたのは、未知だけが怖くて、その怖さを乗り越えるために、経験したことのないことに挑戦し続けることが重要だということでした。
物事を体験すればするほど、未知がなくなり、共通点に気づいて相違点を尊重することが増えます。次の読経や朝食にも共通点と相違点がいくつかありました。
通点に気づいて相違点を尊重する
幼稚園に入園してから高校を卒業するまで、カトリック教やキリスト教の学校に通っていました。そのため、家族やクラスの皆さんと一緒にミサに参列することが多かったです。
ミサの一環として、ホスチア(ミサの儀式に使われる薄いパン)を配る前に、参列者や家族、コミュニティ、世界のために神様へ祈願する時間が設けてられています。また、ミサを通して聖歌や祈りを合唱することが多くあります。読経もこちらにと似ています。
「○○ページから読みます」というお坊さんからの指示に従って、座布団に置いてあった経本を開いてページをめくることや、私達参列者のために祈りすることに、ある身近な懐かしさを覚えました。食事の前にも、食前後のgrace(感謝の祈り)の代わりに、「五観の偈(ごかんのげ)」を唱えてから御膳をいただきました。
気づいた相違点を言いますと、おつとめの読経の後に、ご本尊の前に立ち寄って挨拶して抹香を焚くことがありました。地元の教会にはイエスやマリア、聖者たちの彫像がありましたが、それはあくまでその人物を想起させる飾りのようなものでした。それに対して、ご本尊を直接称えることに少しびっくりした覚えがあります。でも、これは決して悪いことではないと思います。どれも畏敬の念や、畏敬する存在へ近づこうとする傾向から生まれる習慣だからです。
作務(清掃などの日常の労働)の修行も体験スケジュールに含まれていましたが、参加者が風邪を引かないように温かいお湯を準備するなど、初心者向けの工夫をしていただきました。掃除や皿洗いをすることで心もスッキリになる人なので、修行にも含まれていることは大共感です(笑)。御膳ももちろん普段の朝ごはんより豪華なものでした。
朝の御膳
締めの言葉
簡単にまとめると、修禅寺の日常を垣間見ながら、宗教や文化に潜んでいる根本的な人間性を実感できる非常に貴重な体験でした。