タイにある日本人村に訪問、歴史における文化での結びつき
現在、タイには様々な日本の影響を受けた料理や観光などが広がり、人気になっています。私の母がタイにある日本企業で働いている影響で、私も子供の頃から日本に関することにちょっとずつ触れてきました。ちなみにタイと日本の関係は417年前から始まりました。今回の記事はタイにある日本人村をテーマに、昔のタイと日本の関係をお伝えします!
実はタイのアユタヤ県に日本人村があります。アユタヤはバンコクからチャオプラヤー川を北に遡って約90km、バスや車などで行っても1時間半程度と、日帰りも十分可能な歴史的な町です。
日本人村はミュージアムとして、16世紀頃のアユタヤ・日本人村をバーチャルリアリティにより再現しています。誰もが日本人村で歴史や昔のジオラマなどから、当時の様子を楽しめます。
Table of Contents
タイと日本の関係
山田長政・「オークヤー・セーナーピムック」
タイはアユタヤ時代(16世紀くらい)から日本と関係が始まりました。日本はその頃は江戸時代です。
タイのアユタヤ時代の日本人と言えば、山田長政です。山田長政は朱印船でアユタヤにきました。アユタヤに到着後、山田長政は現地の日本人傭兵隊に加わりました。日本人傭兵の多くは、「関ヶ原の戦い」や「大阪の陣」で活躍した屈強な武士(浪人)です。当時のアユタヤは貿易が活発な国際都市として繁栄していた一方、タイの国内外での紛争も絶えず、日本人傭兵は貴重な戦力となっていました。その輝かしい功績から1628年、当時のアユタヤ時代の王様から最高の官位であるオークヤー(大臣級の官職)に任命され、「オークヤー・セーナーピムック」というタイ名で活躍しました。
さらに、16世紀初め、御朱印船貿易に携わった日本人たちが日本人村を築き、最盛期には2,000〜3,000人以上もの日本人がアユタヤに住んでいました。
朱印船貿易による輸出入品
茶道具:茶碗
このような軍事的な面とは別に、朱印船貿易による貿易でアユタヤ時代、日本人村は栄えていました。
日本からタイへ
日本から輸入された刀
タイはアユタヤ時代に戦争や防衛力などを高めるため多くの武器を必要としていたので、日本の刃物の生産で有名な堺から多くの刀が輸入されました。これらは、タイ風の刀や槍の先端に使われるなどして改造され流用されました。16世紀におけるアユタヤの武器の多くはむしろ国内生産の刀よりも日本製のものが多かったと言われます。
タイから日本へ
一方、日本はアユタヤから陶器、皮革製品(主にシカ、サメなど)、キンマ塗りなどを輸入しました。特に皮革製品のタイから日本への輸入量はずば抜けており、江戸時代のアユタヤから日本への皮革製品の数は20万枚以上にものぼりました。
朱印船の形までを模した展示室
ここ日本人村のミュージアムでは、これらの歴史的な映像を上映しています。さらに朱印船の形までを模した展示室では、アユタヤ時代の輸出入品を展示しています。
まとめ
前述した通り、現在タイには様々な日本の影響を受けた料理や観光などが広がっています。例えば料理に関しては元々タイは暑い国なので、あまり生ものを食べません。日本の影響を受けた後、タイでは日本料理屋さんが増えてきました。、有名なレストランでは、日本からお魚を輸入しています。そのため、生もの(すし、刺身)を食べる日本の文化がタイに広がっています。
観光に関しては、日本旅行に興味を持っているタイ人が増え、タイに旅行することが好きな日本人もたくさんいます。観光を通して、タイ人と日本人はお互いの文化が交流ができるんじゃないかなと考えます。日本村のような施設や、歴史的な観光地を訪問しながら、お互いの歴史や文化などを知ることができると思います!
現在でも貿易や外交で、タイと日本の関係がうまくいっている理由は、417年前から続くタイと日本の友好な歴史的関係に基づいていると言えるかもしれません。
最後にタイにお越しの機会があれば、是非アユタヤの日本人村にも足を運んでいただきたいです。日本人村から見えるチャオプラヤー川の景色を眺めながら、タイと日本の関係の歴史や当時のことを知ることができます。
日本人村の基本情報
住所:Ko Rian, Phra Nakhon Si Ayutthaya District, Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000
営業時間:08:00〜17:00/無休
料金:大人50バーツ、学生、大学生20バーツ、7歳以下無料
日本人村へのアクセス:バンコクからバスや車でなど1時間かかります。電車でバンコクのフアランポーン駅からアユタヤ駅まで(2時間かかり)おりてトックトックで日本人村まで10分かかります。