外国語に触れる人がかかる「甘露化」という症状とは?
最近の世論では、外国語を勉強すべき、人生一回でも海外に住むべきのような風潮になっています。ですが、実際に実行ができてしまうと、少々おかしな症状が発生します。メンタルやられるとかではなく、物の見方が変わり、変に愛着を持つようになります。僕の中だけですが、このことは「甘露化」と名付けています。
「甘露化」の語源について語る前に、僕が日本語を学び始めたきっかけについてちょっと触れます。2008年の高校2年生の夏休みに交換留学のプログラムに参加し、2週間青森県つがる市に行きました。親なしでの初めての海外旅行で、日本人の友達もでき、帰って来てからすぐ熱心に日本語を勉強し始めました。高校4年生の時に、高校の授業をさぼり、ボウディン大学の日本語初級授業を聴講しました。その授業で「水族館」という言葉と出会いました。口にするのが楽しかったのか、音が好きだったか、単純にふざけたい気分だったかは覚えていないですが、「水族館」を知って以来、すべての練習作文に「水族館」を入れ込みました。例えば、このような感じ:
- メアリーとたけしはすいぞくかんにいきました。(動詞の過去形)
- ここは水族館という建物です。(名詞+という+名詞)
- 水曜日に水族館に勤めている田中さんとデートをするつもりでしたが、昨日いきなりふられて、入場券の一枚が余っているから、一緒に行きませんか?(動詞+つもり&招待の仕方)
ピュージェットサウンド大学に進学しても、日本語中級、上級の授業を受け、必ず宿題の作文のなかで「水族館」を入れました。先生に「水族館」とニックネームで呼ばれるようになり、今でも「水族館」で覚えていただいています。逆にいうと、先生は僕の本名を覚えているのかは怪しいです。
2014年に大学を卒業。ついにその3年後に「甘露化」の「甘露」と出会いました。東京で勤めた会社をやめて、鹿児島県の種子島に流されて、大学時代の友達の元で働くようになりました。(今は、自分の自己都合の島流しの時代と読んでいます)住んでいたのは、種子島の北部にある西之表市で、そのあたりでは、「お酒」というのは「久耀」か「甘露」という焼酎でした。
毎週金曜日、僕は仕事が終わって、町の中の「Shochu Bar」に入り、甘露とついに出会いました。(なぜ金曜日か?金曜日はカレーの日です)バーのマスターの奥さんはバーのシェフとしても、甘露を作っている高崎酒造にも務めているため、ほとんど「甘露」ばっかりの焼酎バーです。ちなみに、種子島全島は約1万5千人の人口に対して、酒蔵が4つもあり、残りの銘柄が「島乃泉」と「南泉」です。
島に着いた3ヶ月後ぐらいに伊関という集落に引っ越しました。そして、10ヶ月後に友達の会社の方向性が変わり、僕のポジションがなくなり、東京に戻ることにしました。その後、僕は現在のExport Japanに入社しました。Export Japanでは、観光庁の多言語解説整備支援事業に参加することになり、日本のあちこちに取材で行きました。事業内容は日本の文化財、国立公園の解説版やプロモーションの英文を執筆することです。僕は2019年に秋田県内の白神山地を担当することになり、八峰町という町で「甘露」と再会しました。
取材で「お殿水」という湧水の出る場所を訪問し、お殿水の別の名前が甘露水でした。江戸時代に、弘前大名の津軽信枚が八森道を通り、この湧水を見つけ、飲み、「甘露、甘露」と褒めたらしいです。それを読み、種子島の白髪交じりおじさんたちが、「甘露、甘露」と注文している光景を思い出し、僕はくすっと笑ってしまいました。それから、僕は甘露を飲むと必ず、「かんろ、かんろ~」と歌舞伎役っぽく言ってから、グラスを持ち上げ、口に注ぐようになりました。
他に「水族館」「甘露」の次に「座礁」とか「若干」という言葉に出会いましたが、数多くの言葉の中で、強く印象に残っているのは、「シチュー」です。
留学中のホストファミリーのお母さんによく作ってもらっていて、お母さんのシチューがおいしかったのです。実の母もシチューをよく作ってくれたからかもしれないですが、なぜ日本のお母さんのシチューに、僕がそんなに感動したのか今もわからないです。(そもそも味は全然違う)でも実は、実のお母さんのシチューは「シチュー」ではなく「Stew(ストゥー)」です。日本語の「シチュー」は英語の「ストゥー」の発音と違いすぎて、僕は言うたびに笑っちゃいます。
「甘露化」というのは外国語に触れる際に、ある言葉そのものを理由もなく気に入ってしまうことによって、その言葉が「甘露化」されたということです。外国語の勉強によって、言語に対する爽やかな感覚を持ち始め、必ず僕の経験と似たようなことが起こり得ます。もしも僕が日本に行けなくて、アメリカでずっと生活していたら、当たり前なことに気づくチャンスがなかったと思います。日本人にとって、「シチュー」や「水族館」はただの物の名前ですが、僕にとっては、言葉の上にも感情や思い出が入っているのです。
しかし、残念なことに僕は日本に住み続けて、9年目に向かっていますが、だんだんこの力がなくなっているのを感じています。日本語でのコミュニケーションが普通になり、外国語として日本語を勉強しているよりも、むしろ国語が下手な日本人がやる復習をしているようになっていて、昔出会った「水族館」や「甘露」「シチュー」などの僕にとってスペシャルな言葉はだんだん少なくなってきました。次の「甘露化」される言葉はもう日本語の中から出ないかもしれないですが、別の言語を勉強始めたら、きっと出会えると思います。