イギリス人が読んでみた日本文学『おいしいごはんが食べられますように』の感想(ネタバレあり)
芥川賞受賞作『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬隼子さん著)は不穏な傑作で、職場での人間関係、人間の真相を掘り下げる小説です。初めて日本文学受賞作を読んでみて、自分でも意外に感動しましたので、日本の会社で勤めている在日イギリス人の感想を述べたいと思います。
こちらの本を読んだことのある方、私の感想がご自身の感想と似ていたり、異なっていたりしますか?(ネタバレがありますので、まだ読んでいない方は要注意です。)
Table of Contents
簡単なあらすじ
会社の同僚である二谷(男・29歳)、押尾(女・28歳)、芦川(女・30歳)という3人の主人公が食事を中心にいろいろな経験をするなかで、人間関係の複雑さを掘り下げるストーリーが描かれています。不穏な小説で、なかなか納得いかないところもあれば、スッと納得してしまうところもあり、読者自身の経験によって主人公に対しての意見が大変異なります。
芦川は体調を崩しがちで、同僚に助けられてばかりな女性。いつも定時で帰ったり、体調が優れない日は我慢せずに早退したり、お詫びにお菓子を作って持ってきたりします。「食べ物のおいしさ、料理、身体」のことを第一に考える人で、他人にもとても優しくて、いつも笑顔できれいな女性だと思われています。会社の人たちにサポートされていますが、押尾には、「仕事ができない、頑張らない、迷惑をかける人」だと思われて、押尾に意地悪されています。一方、二谷は芦川がなぜご飯をそんなにおいしそうにたべるのか、なぜ1時間もかけて夕飯を作るのか、なぜいつも笑顔でいられるのか、芦川のことが理解できなくて、性格と考え方が自分とあまりにも違うのに、芦川と交際しています。結果的に、二谷も芦川をいじめます。
レビューや口コミを読んでみますと、「日本の会社で勤めているなら共感できるところがどこかに絶対にある」、との感想が多かったです。「芦川みたいな人はおそらくいると思うけど、あまり見たことがないかも。でも、このような人は普通だと思う」や「押尾の気持ちに共感ができたけど、二谷はよくわからない」、このようなコメントも多かったです。
良かった点
- 一気に読めます。「この人たちって気持ち悪い」と思いながら、「この次はどうする?何を考える?何を言い出す?」と知りたくて読み続けてしまうところが好きでした。
- 「この人ってヤバイ、気持ち悪い…こんな人っているの?」と最初からずっとそう思って、最後のページを読んだら、「…やっぱ、いるだろうね」と微妙に納得します。
- 二谷と押尾の語り手としての心理描写が似ていて、「あれ、これ二谷じゃないの?押尾に代わったんだ」としばらく読んでから気付いてしまいます。ストーリー的に、これはとっても上手な書き方だと感じました。
- 押尾と二谷は一見似ていると思われますが、もう少し掘り下げてみると全然違います。それを文章で表せていますので、感動しました。
- 芦川自身は語り手にならず、芦川の言動はすべて第三者による描写です。つまり、二谷や押尾が「芦川が〇〇と言った/〇〇した」などという形で芦川の言動を読者に伝えているため、本当に彼女が考えていることや気持ちなどは、正確に表現されているとは限らないと言えます。そのため、二谷や押尾と同じように、読者にも芦川の心理は正確に理解できません。
- 芦川って普通の人間かなと何となく考えますが、たまに理解できない行動などをしますので、そこで、「うん?」と彼女のキャラクターを疑います。二谷の視点から、芦川は躊躇なく生きているように見えるでしょうが、本当はどうなのでしょうと、私はずっと考えていました。
イギリス人目線の感想
1. 食べ物に関する思い
少し書きにくいですが、私は二谷と似たような考え方をしていると思います。食事は面倒です。料理するのは特に面倒です。30分から1時間をかけて、頑張って作ったものがたった15分でなくなります。しかし、毎日健康にいいものを作って食べなければなりませんし、歯と歯茎の健康のためにちゃんと噛まないといけません。錠剤ですべての栄養が摂れたら、それでいいのにと何回も考えたことがあります。特別なときだけ、おいしい料理を好きな人たちと一緒に楽しめたらいいです。
ちなみに、うちでは毎日の昼食と夕食は鶏むね肉と白菜をゆでて、ポン酢で食べています。ちゃんとした食べ物なのに、バラエティーがなくて、栄養不足の心配があります。料理は面倒ですが、栄養は非常に大事だとわかっていますので、食生活をもう少し意識しようと思っています。
また、日本では、「おいしい」とか「うまい」を何回も言ってしまいます。礼儀正しいかのように、なんにでも「うまい」と言う人もたくさんいますよね。料理番組などで俳優さんたちが何かを試食したら、「まずっ!」とか「ああ、ちょっと私には苦手かも」と言うわけがなく、必ず「おいしい」とかを繰り返し言います。本当に退屈すぎます。
「… ただ毎日生きていくために、体や頭を動かすエネルギーを摂取するための活動に、いちいち「おいしい」と感情を抱かなければならないことに、やはり疲れる。」(p. 69、二谷の心の中)
イギリスでは、 一口食べて、“Mmm”の音を出すだけです。お食事中は、相手のことやいい知らせ、議論やニュースなど、色々なテーマのお話をします。イギリスでは、多くの人は一軒家に住んでいて、リビングルームとダイニングルームが別々になっていることが多いです。テレビはダイニングルームにないため、お食事中は会話が多いです。もちろん、リビングでご飯を食べる人もいますし、金曜日や土曜日の夜に特別にテレビを観ながら軽い食事をとることもありますが、一般的にはダイニングテーブルに座って会話しながらご飯を食べることが礼儀正しいと思われています。しかし、日本に来てから、テレビを観ながら食事をとる習慣がある家庭も存在することに気づきました。特に東京や都会では、マンションや家が狭くて、LDKの間取りが多いと思いますので、テレビを観ながらご飯を食べる習慣があるのでしょうね。
イギリスでは、食べ終わったら、「おいしかったよ、作ってくれてありがとう」や「おいしかったね」を、本当においしいと思っていれば、「レシピを頂戴、家で作ってみる」と言う人が多いです。このように育てられましたので、こちらのほうが礼儀正しく感じるのは無理もありませんよね。
2. 「誰でもみんな自分の働き方が正しいと思ってるんだよね」
これは芦川達の同僚である藤(40代、男性)が言ったセリフです。この考え方は、二谷や押尾が芦川に対して抱く嫌気の原因でもあり、藤とパート社員である原田(女性)が芦川に対して抱く情けの原因でもあると思います。私は下記のように登場人物の行為を解釈しています。
押尾、二谷:二人共同じ働き方をしているから、その働き方が「正しい」と考えて、同じようにしない人が「間違っている」と思ってしまう。
藤、原田:自分を含めて、みんなは自分の働き方が正しいと思っているから、本当に正しいかどうかは、自分次第で、他人に対しては口出しできない。
個人的な感想:労働法、自分の契約書と会社の終業規則に定められている基準に反していなければ好きにしてもいい。
「… 花粉症がひどいので休みます、肩こりがつらいんで休みます、気圧低くて体がだるいので帰ります、ってしょっちゅう。そんなのみんな、みんなしんどいけど我慢してるってことじゃんか。で、二言目には権利。働く者の権利。クオリティオブライフ。自分を守れるのは自分だけ。いやさあ、言ってることは分かるよ。っていうかおれもそうしたいよ。…」(pp.42-43、藤が押尾に言う。強調のために太字を追加)
3. 二谷の考える「弱い者が勝った」
二谷が考える「弱さ」は「正直さ」であり、「強さ」は「我慢」だというふうに解釈しました。押尾も似ていますが、正直さが少し混じっているから読者にとって二谷より好印象があるかも知りません。
芦川は、自分にできないことを「できません」と正直に言っています。自分の短所と長所を認めて、受け入れていると思います。それは決して簡単なことではありません。その会社の中では、芦川にしかできていなくて、他の人は皆どこかで我慢することを選んでいますので、簡単にできることではないと思います。
「我慢」の行為は、日本での生活に多いような気がします。極端に言いますと、我慢しないと批判されます。痛み、悲しみ、いらだち、怒り。ネガティブな感情・考えを抑えて我慢します。これはおとなしい行動であり、社会的に正しい在り方とされています。
海外での日常生活では、我慢する必要性は低いかも知れません。しかし、学校や職場では、日本と同じく我慢する必要があると思います。最近海外では、若い人たちは仕事をすぐにやめてしまうと、50代や60代の人たち(大体男性)が嘆いています。その考え方の基盤は、「私は苦労してきたから、あなたも同じ苦労をしないといけない」のスパイト行動ですね。実は、日本社会ではスパイト行動が非常に高いと言われています。「みんなつらいから、みんな同じだから」との口実を付けて妥当性を作ろうとします。本当はそうなのかなと、私はますます疑問に思って、最近はその言い訳を拒絶することを決意しました。若い世代の人たちも、つらいことがあれば、我慢せずに背けて立ち去るほうをますます選んでいます。
個人的には、自分が我慢すれば何か得られると思うのであれば、勝手に我慢すればいいのです。ただ、自分の価値観を周りの人たちに押し付けることは自己中心的な考え方であり、批判すべき行動です。これはイギリス人の考え方というより、若者の考え方なのかもしれません。
作品の話に戻りますが、芦川は、「体調不良で早退します」と正直に言って行動しています。「大声を出す人は苦手」、「急な変更は苦手」、「おいしい」、「すごい」、「うれしい」など、感情をそのまま正直に伝えています。だからこそ、正直になれない二谷と押尾にとって彼女は不愉快だと思います。彼らは、これほど自由に生きている人間を見て、嫉妬していると同時に、自分のことを嫌っていると思います。ですが、正直じゃないから、自分を変えることではなく、芦川をいじめることを選んでしまいます。
「… やっぱりおれは文学部に行けばよかったなって思って、そしたらなんか、彼女のことも嫌になって。今思うとあれは、自分のことが嫌になっただけなんだろうけど…」(p. 60、二谷の心の中)
正直者は、自分の望むものを手に入れるために努力するから勝ちます。一方で、我慢する人は、自分の望むものを抑えて、他人の意思を自分よりも優先するようになって、自分の弱さを憎んで、自分も周りの人たちも傷つけて、そして悪循環のようにそれを繰り返し続けてしまうから負けます。